2009年1月25日日曜日

魚フェスティバル


今週は蚊がすごくて眠れない。おかげで風邪をひいた。今日、土曜日はノドが痛くてまた熱っぽい。気温も徐々に上がり始めて夜もあまり冷えない。そしてブログを書いている今、外は結婚式が2か所であっているようでカラオケでかなり歌っている。この大音量だったらヒンディでもプロの歌のほうがいい。おかげでTVの音が聞こえなし、すごい音痴。まーおめでたいことなのでしょうがないか。しかし、いつまでたってもインドは私に挑戦的だ。

今週火曜日に郵便局に行った。日本とアメリカに封書を15通、甥っ子に誕生日のプレゼントを送って、韓国の友人にスカーフを送った。これだけを送るのになんと1時間近く時間がかかった。最後にEMSの控えをもらった時には感動して「やっと終わった。。。」とポツリ。満面の笑みで「Thank you very much!!」と無愛想な窓口のおじちゃんにお礼を言って帰ってきた。インドなのできっと時間がかかるとは思っていたけど予想を上回る待ち時間だ。しかし驚くことに韓国の友人から金曜日に「スカーフありがとう」と写真とメールが送られてきた。なんと!木曜日に着いたらしいので火曜日のお昼休みに出してから2日。郵便局で手間どったわりにはものすごーく速い。日本国内の宅急便だって福岡札幌は2日はかかるはずだ。絶対にインドの国内郵便というか、同じムンバイ市内でもこんなに早くはとどかないと思う。驚いた。

木曜日の仕事のあとに漁師さんたちのフェスティバルに行ってきた。久し振りの魚で嬉しくてついつい食べ過ぎた。カニもエビもイカも魚の卵もみーんなインドのスパイス味だ。でもおいしい。特にカニはカニ自体が甘くておいしかった。上海で食べたカニよりおいしかった思う。あのときもおいしいと思ったけど、、、。しかしこちらではすべて手で食べる。カニはおはしが欲しい~と思った。10種類以上の料理を食べていたらしい。そして写真を撮っていると「撮って、撮って」とみんな写真に入りたがる。とにかくみんなおしゃれしてゴールドのアクセサリーもすごい。そして写真好き。肩をポンポンと叩かれ、奥さんとポーズをとる。そんなこんなでいろんな写真がとれた。今日、日曜日もまだ熱があって頭が痛いのでその写真をUpして終わりにします。また来週~




2009年1月18日日曜日

インドライフで大変なこと


日本から戻ってきてからというものずーっと疲れがとれなくて毎日ぐったりしていた。仕事がヒマなときはそれでもなんとかなったけど、正月休みがあけて通常の業務量に戻ってくるとなかなか身体がついていかない。仕事から戻って晩ごはんを食べるとぐったり眠って夜中におきてシャワーをしたりしてまた寝る。という生活パターンでつらい。しかも仕事でストレスが溜まるようなことが結構起こる。夕方、夜には誰からも疲れてるね~と声をかけられる。

やっぱり生活パターンの違いがなかなか疲れがとれない原因のひとつかもしれない。掃除機もないし、洗濯機だって二層式の、使うたびごとに移動させて排水ホースと水のホースをセットしないといけないし、排水口はとにかくおそろしい気分になるものだ。(ネズミとかゴキブリがでてきそうな。。)台所には戸棚がない。しかも埃っぽいのでなんでもすぐにざらざらになる。なのでお皿やおわんは最小限のものだけ。しかもお皿、陶器のものは少なくプラスチック?のもうちょっと頑丈な感じのものしかない。陶器のものはあってもかなり重くてデザインも選べないうえに高い。やっぱり器を楽しむというのは贅沢なことなのかもしれない、と思う。それでも私のアパートはインドでの普通の家庭レベルなんだろう。
でもついに見てしまった。思わず、叫んでしまったし、涙が出そうになった。シャワー、ようするにお風呂場(というには日本のものとはかなりかけ離れている)の排水口はフタが簡単にあくもので、そのフタをとると気持ち悪いけれど汚い排水溝が見える。先週ぐったりしているときに夜シャワーができなかったから朝シャワーをしようとすると、その排水口のフタが微妙に動いている。イヤな予感がしたけれど閉め忘れたんだろうとあまり気にしなかった。そして翌日もシャワーをしようとするとまたフタが微妙にあいている。もう気持ち悪いなーと思って排水口フタのうえにおもりとして大きなバケツをおいて出かけた。そしてその夜、見てしまった。ねずみ。私が排水口におもりをしてしまったのでねずみが家にもどれなかったらしい。思わずパニック!叫んでしまった。ずいぶん前に道端でみかけたものよりははるかに小さかったけれど、コワイ。よくよく考えるとおもりがあったためにそのねずみは家に帰れなかったとすると、おもりをとってやるとネズミの家に帰るのではないかと思い風呂場のドアを開け放しておもりをとっておいた。すると30分ぐらいしてからか、カタカタ、カターンと金属のものが動く音がした。ひょっとして台所か??と思って動けない。5分くらいして風呂場をのぞいてみると排水口のフタが完全にあいている。きっと家に帰ったんだろうと思って改めてフタにおもりをした。それから音も聞こえないし、見かけることもないのでもういない。と思いたい。もしいたとしたらどうしたらいいんだろう?罠をしかけるとしても、罠にかかったネズミなんて怖くて見たくない。ネズミなんて日本じゃみかけることはなかったし、驚いた。おかげで眠れなかった。

仕事でイライラすることがあるとちょっとお散歩しようと思って外にでる。少し歩いて町の人を見てると気分もかわるか。と思ったらまったく逆だ。とにかくジロジロ見られる。ストレス発散どころかかえって疲れるのだ。こちらで町を歩くと老若男女を問わずジロジロ見られる。食料品の買い物でレジに並べば前に並んでいるお母さんにぴったりくっついている男の子もジロジロ見てくる。後ろに並んでいる子供が泣いていても私が振り向くと一瞬泣きやんでジーッとこっちを見る。男の人はもちろんジロジロ見るし、おばちゃんだっておじいちゃんだって物珍しそうにこっちを見る。きっとたいした意味はないに違いないが、とにかく疲れる。まだまだインドに溶け込んでない証拠かもしれないけれど、そんな日はやってくるのだろうか??

写真は上から同僚ナターシャのお義姉さんのお店。下の2枚はお気に入りのインドの洋服のお店。とにかく商品が折りたたんで並べてあるのでなかなか選ぶのが難しい。いっぱい出してもらってもお店の人が片っぱしからまた折りたたんでいく。

2009年1月13日火曜日

油断した~


金曜日の朝、いつもよりリキシャの数が少ないし、立て続けに乗車拒否された。そこで、あー、またストライキね。と合点がいった。やばい!遅れる~!次にリキシャを見つけたら30ルピー払うって言おうと考えつつリキシャを待つ。やっとリキシャをとめて、「30ルピー」、「No」、「40ルピー」「No、50!」、、、「えーっ!」といちおう驚いてみたけど、リキシャはいまにも走り去ってしまいそうだ。むりやり乗り込んで「OK、50ルピーね」と、交渉成立。しかし50ルピーと決まるとなかなかのんびり走ってくれる。しまいには、そのへんを歩いていた女性を運転席に乗せて、おしゃべりしながらノロノロと走っている。何台も別のリキシャに追い越された。もー遅刻だよ遅刻ーとイライラしていると女性が降りた。さー急いでもらおう。と「急いでるんだけど」と言ってみた。すると「僕の妹なんだ」と。。「違う~!急いで欲しい~」とさらに続けると、ヒンディとマラティしか話さない。と言われた。そうかー、あきらめてどうしてストライキなの?と聞いてみるとストライキじゃないんだよ。ガソリンがないんだよ。と言ってるようだ。どうしてガソリンがないの?と聞くとその先は英語しゃべれない。としか答えがなかった。そういえば、今週は疲れて夕食を食べたあとに眠ってしまい夜中に起きて寝る準備をするという不規則なパターンだったのでニュースも見てない。朝はCNNがついているけれどインドのオイルの会社のストライキなんて終わったその日にしかニュースになってなかった。今回、帰りのリキシャはつかまらずなんと歩いて家に帰った。お腹がすいて疲れたけれど歩けない距離ではないことがわかったのと、時間もはかったつもりがあまりの空腹さに何時に歩き出したのかまったく覚えてなかった。時計を見たのは覚えているけれど、、。あー疲れた。
  初めてインドでテニススクールに行った。Yすけくんが通っているYMCAのテニススクールで子供に交じってクラスを受けてみたら、テニスじゃなかった。トレーニングだった。走って、走って、ストローク、走って、走って、ストローク。ボールを打っている時間より走っている時間のほうが多い。もうダメだ。なんども「もームリ!」と叫んでいた。こどもたちはなかなかの腕前でボールに追いつくし、コーチの意地悪?な球出しもなんなく返している。。やっぱり私はトレーニングより楽しいテニスがしたい。そしてテニスコートのボロさに驚いた!! なんとコンクリートのコートだ。それがもっと驚くことに日曜日に行ったテニスコートはもっとひどいコンディシヨンだ。しかも12時で閉まるという話だったのに無理やり忍び込んでテニスしたら警備のおじさんに怒られた。この日一緒にテニスしたYすけくんとRyoくんはインドのテニスうまい人達はどこでテニスしてるんでしょうねー??と、、、ほんと、どこでテニスしてるんだろう??ひさしぶりのテニスで肘が痛い。。。

  またまたTATAインディコムで怒った!日曜日の夜に、さーブログをUpしようとしたらインターネットにつなげない。またあの感じ悪いTATAインディコムに行かないといけないらしい、そしてきっとすぐインターネットには繋げないんだろう、、。もうイヤになる。月曜日、仕事帰りにTATAインディコムへいってみるとやっぱり対応が悪い。日本だとある程度のサービスは期待できるけれどインドの市場ではそこまでサービスしなくても商売が成り立つんだろう。なにしろすごい人口だもの。とにかく待たされた挙句に今日は繋げないらしい。1分とかからなかった。パスポートか他の身分証明書を出さないと繋いでくれないそうだ。もう怒りを通り越して、やっぱり会社を変えようという気になった。毎回リキシャに乗ってわざわざ出向いて、この対応だ。あきれてしまった。もういい。TATAインディコム。けっきょく近所の電話の代理店をやっているおにいちゃんがTATAインディコムより高かったけど面倒みてくれて、結局パスポートコピーとか書類を出さなくても翌日からつながるようにしてくれた。いったいどんな仕組みになってるんだろう??? しかし、近所の電話やのおにいちゃん、すごい。そして感謝!

写真は上から、近所の行きつけの八百屋さん。ヒンディーオンリーだけどいつもヒンディーを教えてくれたり、野菜をおまけ?してくれたり親切。そして驚いたテニスコート。最後は同じアパートに住むおばあちゃん。ヒンディは1言もわからないけどいつも話しかけてくれる。かわいい。

2009年1月4日日曜日

2009年


あけましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします!

年末は大掃除をして、新年用に稲荷ずしを作った。ビールでも飲みながら世界のカウントダウンを見て年を越そうとしたら、そんなTVプログラムを発見できなかった。地元のTVではやっていたけど面白くないのでしょうがない、CNNでも見ながらブログを書いて年を越した。あまり新年の気分にならない。気温もまあまあ暖かいし、外では人の声がすごいし、夜中の1時をまわっても子供の声がしている。そのうえ、1日でも朝7時半からの出社だ。2時頃やっとベッドに入った。
  とりあえずお正月なのでちょっとだけおしゃれして、稲荷ずしをランチに持っていった。ダニエルとYすけくんと食べるつもりだ。ダニエルはカレー(マサラ)味というかスパイスの効いた味になれているので少し甘くて酢がきいたごはんなんて食べれるんだろうか?寿司たろうにちりめんじゃこを入れていなりあげにつめている。食べれるかどうかちょっと心配。仕事はやっぱりヒマである。担当の日本のマーケットはもちろん休みだし、きっとどこの国でも新年は休みなんだろう、全体的に問い合わせも少ない。1日ぐらい休みでもよかったんじゃないかと思う。今日出社している人と記念撮影なんかしたり、週刊誌を読んだり、まったく働く気にならない。そして待ってました、ランチ!やっぱりダニエルにはあまりあわなかったみたいだ。どうもちりめんじゃこがダメだったようで、なんかこの魚の目がこっちを見ている感じがする、と言っていた。しかも昔飼っていた魚の子供が生まれたときはこんな感じの小さな魚だった、と懐かしい記憶を呼び起したようで、いまひとつ、、、。白魚の踊り食いの話をしたら、「う~ん、それは残酷だね。」と悲しそうだった。こんどはアボカドとスモークサーモンでちらし寿司にしてみよう!
 そして土曜日にはインドで初の英語映画にチャレンジした。しかも1人で。きっと英語の映画はガラガラだろうと踏んでいたのに意外と人が多い。指定席なのでチケットを買ってコーヒーでも飲んで時間を潰していくと両脇は男性2人づれだ。意外なことに男性2人づれというのかカップル?というのかが多い。2人で仲良くポップコーンでも食べながら見ているけれど、きっとゲイではないんだろう。だってこっちでは男の子同士で手をつないで歩いていたり、交差点を横断している。そういえば会社の子も横断するときに私の手をひいてくれたっけ。。まーそれはいいとして、とにかくフレンドリーな観客なのだ。左隣の2人づれは遅れて席につくなり、「もう始まってるの?」とか聞いてくる。映画に夢中でうわの空で「そーだよ」と答える。今度は人が殺されるシーンで目をかくしていたら、「だいじょうぶだよ、映画なんだから」と声をかけたられた。もー、せっかく映画に集中していたのに、、、。そして私が目をかくしていたのを隣の連れに話している。。。。もー!

肝心の映画はニコール・キッドマンとヒュー・ジャックマンの「Australia」。ムーランルージュの監督であったのと美しい景色、、というのにひかれて見に行った。いやいや雄大な自然に感動して、馬に乗りたくなった。良い映画だったと思う。ただ日本軍が攻撃してくるシーンでは、もし隣のフレンドリーなインド人にどこから来たの?ときかれたら中国か韓国って答えようと思った。日本軍が真珠湾攻撃の後にオーストラリア(ダーウィン)まで攻撃していたなんて知らなかった。ごめんなさい。
でもやっぱりインド。映画の途中でインターバル(トイレ休憩)が入った。思わず「もーっ!!」とつぶやいていた。

2009年1月1日木曜日

2008年


2008年を振り返ると最も移動距離が長い年だったと思う。2007年9月からスタートしたUNCCの英語プログラム受講のために1月は福岡からノースカロライナに移動した。そして3月のスプリングブレイクにはノースカロライナのシャーロットからフロリダは最南端キーウェストまでロードトリップに出た。そして5月、サンフランシスコの友人宅でのんびりしたあと、ワイオミングのイェローストーン国立公園までまたロードトリップだ。カリフォルニア、ユタ、アイダホ、ワイオミングをドライブして、ノースカロライナに戻ってから日本に帰国。そして1か月ほど福岡でバタバタした後にインドへ。最近、2週間ほど前には福岡に戻ってまたムンバイに戻ってきたのでかなりの移動距離だ。そしてよく泣いた年だった。悔しくて泣いたし、友達との別れが悲しくて泣いた。ストレスが溜まると泣いてすっきりしたし、涙が出るほど笑うこともあった。インドに来てからはリキシャの中で涙が止まらないこともあった。一口でいろんな事があったと言うのは簡単すぎてすっきりしないけれど、いろんなことがあって2008年はとても名残惜しい年となった。

ノースカロライナUNCCでのルームメイトにクラスメイトそして学内の友人たち。一緒に勉強して、食事して、おしゃべりして、旅行に行った。アメリカ大統領選の年で学内にCNNの有名キャスターがきたし、ビル・クリントンの演説も聞きに行ったな。大統領選に関するアンケート調査をしてスピーキングのクラスで発表する宿題は楽しかった。フロリダとワイオミングの国立公園、ユタ州のソルトレイク(塩田?)は感動ものだったし、サンフランシスコにいる間に今のインドの就職先を見つけた。こんな経済状態になるなんてちっとも予想できなかったけど日本国外に就職先を見つけて良かったのかもしれない。インドでの生活がこんなに刺激的で大変なものとは予想だにしなかったけれど。。。Diwali(ヒンドゥー教の新年)、Ganeesha神のお祭り、そして仕事。楽しいことも大変なこともごちゃごちゃで必死のインドライフだ。そしてムンバイテロ。同じ市内で銃撃戦があっていると思うとゾッとしたしテロリストには本当に腹がたった。年末の今はイスラエルのガザ攻撃だ。2009年は血なまぐさい事が減ればいいのだけれど。。。2009年はいったいどんな年になるんだろう。あと半年は確実に続くインドライフ。くじけずにやれるだろうか。笑えることが多いだろうか。旅行には行けるだろうか?楽しみのような怖いような気分だ。まるで初めてアメリカに留学したときに楽しみと不安が半々で膝がガクガクした時のような感じ。来年こそはエキササイズと英語の勉強にもっと力を入れたいな。毎年新年の抱負は似たようなもんだ。とにかく生活に必死だったインドライフを少しでも楽しみたい。そして景気回復するようオバマ大統領に期待!

みなさんの2008年はどんな年だったのでしょうか?2009年がみなさんにとって良い年になりますように!2009年もどうぞよろしくお願いします!